History of glasses making
めがねづくりの歴史
明治時代から続く鯖江のめがねづくり。着々と育まれた100年を超えるめがねづくりの歴史は、まさに「日本のめがねづくりの歴史」といっても過言ではありません。
その歴史は、「国産のめがねの祖」とも呼ばれる増永五左衛門が、農家の副業として始めたことから始まりました。
増永五左衛門は雪深く産業がない農業だけの地元の暮らしをどうにか向上させたいという思いから、冬の農閑期にも収入を得ることができる副業として、めがねづくりに目をつけます。明治38年(1905年)のことでした。
明治以降、教育の普及と印刷技術の発達で新聞などの活字を読む文化が広まり、近眼・老眼ともにめがねの需要が拡大していました。
こうした社会の変化の中で、今後めがねは生活に欠かせない必需品になるだろうと感じた五左衛門は、眼鏡づくりが盛んであった大阪や東京から職人を招き、村の男たちを巻き込んで一からめがねづくりを習得していきました。
戦後の高度経済成長の中では、めがねの需要も急増し、産地として大きく成長しました。その後もめがね製造の機械化などにより生産効率を追求すると共に、品質の向上と技術開発にも取り組み、1981年には、世界で初めてチタンを用いたメガネフレームの製造技術の確立に成功しました。
軽くて丈夫なチタン製めがねの開発・生産により、国際的なめがねの産地としての地位を築き、イタリア・中国と共に世界の三大めがね産地となりました。